Coccoの楽曲『ファンタジー』は、テレビ東京系「WBS ワールドビジネスサテライト」新エンディングテーマ曲として知られている。良い曲です、本当に。彼女が顔出しをやめたこと、そしてずっと一貫した音楽へ向かう姿勢など、聴きながらいろいろなことを考えてしまった。
というわけで今回は、シンガーソングライターCoccoの楽曲『ファンタジー』を聴いて思ったことについて。
Coccoが顔出しをやめたことについて
2022年、シンガーソングライターCoccoは「顔出し」をすることをやめますと宣言した。「私、Coccoはこの先一切メディアに顔を出さずに、歌を歌っていくこと決めました」。
突然の宣言に、長年のファンとしてはそれなりに驚いた。でも、同時にほっとしていた。宣言の内容が「表舞台で歌っていくことをやめます」ではなかったことにほっとした。顔出しをやめた理由が「より音楽に集中するため」であったことにほっとした。
やっと言えた、スタッフへ出した要望がやっと通った、と、ご本人が自身のYouTubeチャンネルで語っていた。
顔出しなんてしなくていい、なんて軽くは言えない。なぜなら、少なくとも私は、Coccoの紡ぐ歌詞や声だけでなく、彼女が歌っているときの表情や凛としたまなざしも大好きだったから。けれど表に顔を出さないことで本人がそれだけ楽になれるのなら、それでいい。
やっと要望が通った、というのは、おそらく令和のこの時代だからというのも大きいのだろう。たとえばadoやyamaをはじめ、顔を出さずに活躍している有名なアーティストがたくさん出てきている。顔どころか実際の姿さえ見せずに、それでも多くの人を楽しませるVTuberたちの存在もある。
もしもCoccoが令和のこの時代にデビューした歌手だったとしたら、彼女はひと昔前に比べると何倍にも増えた選択肢の中で、きっと、もっと楽に泳いでいけたのだろうと思う。
だけど一人のファンとして、彼女が苦しみながらも紡ぎ続けた音楽たちを、私はとても好きだったし、愛していた。そして楽曲『ファンタジー』を聴いて、顔を出そうが出すまいがCoccoという歌手の本質は何一つ変わっていないことを確信した。
Coccoの楽曲『ファンタジー』の歌詞の意味は?
<赤や青や黄色や白や ましてや黒なんかじゃ割り切れない そうだよ 紫色の雲なんて言葉にできないよ>
Cocco『ファンタジー』
<みんな幸わせになれたらいいのに とんだファンタジー!>
この楽曲を初めて聴いたとき<紫の雲>というキーワードがなぜか耳に残った。なぜだろうと考えて、すぐに思い浮かんだのは彼女の代表曲『焼け野が原』。Mステの例の回にて歌唱し、歌った後そのまま走り去った、あの曲だ。
楽曲『焼け野が原』にも「紫の雲」は登場する。<雲はまるで燃えるようなムラサキ 嵐がくるよ そしていってしまう ねえ空は遠すぎる>。
紫色の雲なんて現実では見たことがないのに、Coccoの楽曲を聴いているときだけは、まるで自分自身が以前目の当たりにしたもののようにくっきりした情景が浮かび上がる。
「紫の雲」というキーワードは、楽曲の中では「言葉にできない」ものとして、つまり内省的な存在の象徴として描かれている。そしてそういう存在が、概念が、Coccoの楽曲においては”主人公”として、たしかな存在感と求心力をはらんで描かれている。
だからこそ、『ファンタジー』はとても優しい曲だと感じる。みんなが幸せになるなんてファンタジーだ、自分一人くらいいなくても世界は普通に回っていくと歌っているのに、そこにはたしかな優しさがあり、包容力がある。皮膚の奥まで静かに沁みとおっていくような感動がある。ありがとう。一人のファンとして、これからもCoccoの音楽とともに生きていきたいと思う。