1993年放送のTBSドラマ『高校教師』は、真田広之演じる生物教師と桜井幸子演じる女子生徒のあいだに生じる禁断の愛を描いたストーリー。脚本は野島伸司。ただ、その特殊な設定や表現・展開に『気持ち悪い』など賛否両論の意見もみられます。
今回はドラマ『高校教師』に出演した京本政樹さんと演じた教師・藤村について。
1993年ドラマ『高校教師』にて京本政樹が演じた役柄は?
1993年に放送された金曜ドラマ『高校教師』。俳優・京本政樹さんが演じたのは主人公・羽村の同僚教師の一人・藤村。
容姿端麗かつ明るい性格から人気者として女子生徒たちのあいだでもてはやされている一方、実は表には決して出さない”裏の顔”を持ちあわせているという二面性が特徴のキャラクターです。
劇中ではヒロイン・繭の親友・直子に対し鬼畜なふるまいをくり返すことから、視聴者サイドからは「京本政樹はなぜあんな役を引き受けてしまったのか」という声も多かったのだとか。
1993年ドラマ『高校教師』はアンチ・トレンディドラマとして企画された
しかしそもそも、ドラマ『高校教師』は”アンチ・トレンディドラマ”として企画され制作されたものである、という前提を念頭に置いておかなくてはなりません。
キャラクターの設定上、内容はどうしても暗く重くなりがちなところではありますが、あくまで「人間の本質を美しく」描きたいという前提から制作がスタートしたのだとか。実際、劇中にて随所でナレーションされる主人公・羽村のモノローグをみていくと、”人間の本質”とはどのようなものなのか、という大きなテーマがくり返し自問される形で、視聴者サイドにも問いかけられています。
主要人物それぞれの立ち位置を考えていくと、主人公・羽村は「人間の本質は愛情である」という結論に対し懐疑的だった人。ヒロイン繭は、ゆるぎない愛情を信じたいが信じさせてくれる人に出会えずさまよっていた人。
愛情なんて信じない、と吐き捨てるように言った羽村の元婚約者。離婚調停に苦労した新庄。その中で、教え子である女子高生に対しそれを求めてしまった教師・藤村はやはり異例のキャラクターだったと言えます。
京本政樹が演じた教師・藤村のキャラクター性について
1993年の放送当時も、また再放送される際も「なぜ京本政樹はなぜあんな役を…」と感じてしまう人は決して少なくないようです。
まあ劇中にて彼がやってきたことを考えれば当然の反応ではありますが、それでもこの作品の大きなテーマを考えれば、ある意味では最も重要な役柄だったと言えるのかもしれません。”人間の本質”をリアリティ豊かに描くには、やはり”悪役””汚れ役”と呼ばれるキャラクターが必要不可欠でしょうから。
藤村というキャラクターの行動原理にはいつも「愛は永遠だ」という強い信念のようなものがありました。だからこそ、自分を恋い慕う女子生徒・直子を永遠に自分のもとにつなぎとめておくためにあのような行動を取ったのでしょう。
愛が永遠に続くという理想論じみた信念は、ストーリーが始まった当初の羽村にはなかったもの。そして、ヒロイン・繭は何度もそれを何度も諦めながらも「いや、いつかきっと、誰かに」とむりやり信じることでつらい境遇を耐え抜いてきた人です。
つまり本作に登場する藤村以外のキャラクターは、人間の本質的な愛情についてきわめて懐疑的だったと言えるはず。その中で唯一、ゆるぎない愛情が存在することを信じぬいた藤村は、実は作品の精髄に最も迫るキャラクター設定がなされた人物だったんじゃないかなと思うんですね。
実際、当時のインタビュー記事などをみてみると「作品の本質を理解していたので藤村役を演じることに抵抗はなかった」と京本政樹さん自身がコメントしています。劇中での京本政樹の怪演ぶり、あれはきっと、藤村というキャラの信念や根本を完璧に自身の中に取り込んだ結果だったんだろうなと。
やり方こそ間違っていたけれど、作中にて始まりからラストまで信念を貫いたキャラクターは、もしかしたら藤村だけだったのかもしれません。