映画『怪物』は、是枝裕和監督と坂元裕二のタッグが生み出した、人間の本質に迫るヒューマンストーリー。「怪物」とは誰の中にも存在し得るものーー。劇中における伏線の一つひとつの魅せ方がすばらしかった。ラストの少年二人の生死を含め、特に気になった部分をまとめてみました。
【ネタバレ】映画『怪物』は意味不明?つまらない?
LGBT・性的マイノリティを描いた作品
※以下、ネタバレを含むのでご注意ください。
映画『怪物』の根底にあるのは、少年ふたり(湊と依里)のあいだに生じた”友情以上の感情”。
劇中では、それが恋愛感情であるとは名言されていません。
ただ、田中裕子さん演じる校長先生に対し湊自身が「人に言えないから隠している」と発言するシーンからも、子どもながらに「自身がマイノリティである」「人と違うから知られないほうがよいのでは」という意識を抱いていたであろうことが想像できます。
誰が「怪物」なのか……。偏見や決めつけ、誤解、無知をテーマとした社会的な作品と捉えることもできるでしょう。
が、誤解を恐れずいうなら、個人的には『怪物』はまぎれもない”王道ラブロマンス作品”なのだろうと解釈しています。たとえるなら『ロミオとジュリエット』のような。
ロミジュリのテーマは「禁じられた愛」。駆け落ちを計画するが失敗する二人。物語は最終的に、二人の若き恋人の死をもって幕を閉じます。
消しゴムを拾う姿勢のまま固まっていた湊
映画『怪物』の面白さは、メインのキャラクターである少年ふたり(湊と依里)と、二人を取り巻く人々の温度差です。
周りにいる人たちの葛藤や激情がバリエーション豊かに深掘りされて描かれている一方、肝心の湊と依里のほうはひたすら”シラけて”いるんですよね。
母親も教師もだれもが、自分の見たいものだけを見つめている。
自分たちのことは誰にもわからない。理解されないし、してほしくもない。
主人公の少年・湊が消しゴムを拾おうとした姿勢のまま固まっていたシーンはまさに象徴的なものだったと思います。
”動けない”んだよなあ。動き出さなくちゃと心では思っても、脳がその通りの司令を出してくれない。
おそらく、心身ともに満たされている人にはなかなかわからない感覚でしょう。
この映画は、このもどかしい感覚を知っている人にはものすごく響く一作なのではないでしょうか。
田中裕子さん演じる校長の言葉「幸せは誰でも手に入るもの」
母親にも教師にも、自身の抱えるものを打ち明けることができなかった湊。
でも、そんな彼が唯一、内心を吐露できた大人がひとり。
そう、田中裕子さん演じる校長先生ですね。
「人と違う自分は幸せになれない」と感じている湊に対し、彼女が言い放った言葉が非常に印象的でした。
誰かにしか手に入らないものは幸せとは言わない。誰でも手に入るものを幸せというの。
この映画のテーマは結局のところ、この台詞がすべてなのかもしれません。
幸せは手の届かない星のようなものではなく、日常に転がっているもの。本来、幸せになるのに資格なんか必要ないんですよね。
幸せになるための絶対条件を突き付けてくるのは、親や教師、社会の規範といった、子ども一人では立ち向かえるはずのない大きな存在ばかりなのです。
最後、湊と依里は死んでしまったのか?
真っ向から立ち向かえないから、どこか違う世界を探して旅立った。
これが、映画『怪物』のラストにて、湊と依里が選んだ結末です。
「出発するのかな?」
「出発の音だ」「生まれ変わったのかな?」
「そういうのはないと思うよ。元のままだよ」
「そっか! よかった」
最後、二人は土砂崩れに巻き込まれて死んでしまったのではという考察をよく見かけますが、そもそも二人の生死は本作の主題ではないため、個人的にはどちらでも良いと思っています。
自分たちの本質が変わらなくても、元のままでも、自由に生きられる世界。
それを見つけられたのなら、これからはきっと自分らしく幸せに生きられる。
たとえそれが死後の世界であっても。
劇中に散在する、あらゆる登場人物たちの感情の重みが時間とともにゆっくり効いてきて、まるでボデイブローのような感動が襲ってくる映画でした。