白泉社が発行する漫画雑誌【花とゆめ】にて連載中の少女漫画【暁のヨナ】。
アニメ化や舞台化、さらにはヨナカフェなどさまざまな関連イベントも開催されており、メディアミックス作品としても注目を集めています。
今回は漫画【暁のヨナ】の246話(42巻収録)にて、緑龍ジェハが「消えた」理由について。
『暁のヨナ』246話「この先はもう行けない」ネタバレ感想と考察
※この記事では本編あらすじの詳細な文章化はしておらず、基本的に個人の所感と考察のみを綴っています。ネタバレ要素はありますのでご注意を。
緑龍ジェハが消えた理由は?
247話「この先はもう行けない」は、読者サイドにとっては結構衝撃の回だったと思うんですね。
「寿命がきたんだ こいつらの」
「娘さん、逃がすなよ」
上記のゼノの言葉の真意が全く明かされないまま、唐突にジェハの姿が”消えて”しまった。
まだまだ戒帝国との戦が続く最中、このタイミングでヨナサイドの、ひいては高華国サイドの主要な戦力である四龍が物理的に稼働できなくなる、というのは面白い展開だなあと思います。
本作のヒロイン・ヨナ姫はそもそも城を追われてから、戦力的には従者ハクとついてきてくれた四龍たちに完全に頼りながら生きてきたわけで。それが城に戻り、そして危惧されていた戦がついに始まり、ここでジェハが消え、他の龍たちもどうも様子がおかしい…となると、ついに彼女個人の意思で動き始めざるを得なくなります。
そのためこのタイミングで緑龍ジェハが消えてしまったのはやはり、ヨナの緋龍としての目覚めを促すための展開の一つと言えるのかもしれません。
『暁のヨナ』における”龍”の立ち位置は?
個人的にとても気になっているのが、『暁のヨナ』という作品における「龍」の立ち位置です。
そもそも龍というのは蛇の発展形として生み出された想像上の存在。
まあ『暁のヨナ』はファンタジーというカテゴリなのでどのような生命体が登場しても不思議ではないのですが、それでも作中では緋龍信仰の強い高華国の人間でさえ、四龍の力を目の当たりにするまでは「そんなものが実在するわけがない」という認識だったはずです。
ところで”龍”という存在に対して持たれている認識というのは、実は西洋文化と東洋文化においてそれぞれ異なります。
キリスト教信仰の強い西洋では、聖書内にて禁断の果実を口にするようイブをそそのかした蛇は、完全なる悪・邪神として扱われています。そして”龍”も、その蛇の上位変換的な存在として嫌悪され恐れられているというのが一般的です。
一方、アジア圏では龍、あるいは龍神というのは神聖なる存在、大いなる神様という扱いをされがちです。想像上の存在であるとはいえ、人々に幸運をもたらすもの、守ってくれるものとして崇められているパターンが多いわけですね。
と、ここまで長々と書いてしまいましたが、本題である『暁のヨナ』作中では、龍というものの扱いについて、上記の西洋的な認識と東洋的な認識が混在しているように感じます。
「伝説の四龍」、そして彼らを従える「緋龍王」信仰が特に強いのが火の部族。一方の他部族は「そんなものは実在しない」「そもそも興味ない」と否定的な姿勢を貫いています。
もちろんヒロインであるヨナを支える存在である四龍が最終的に「悪」として片づけられるようなことはないと思いますが、ではこの先、彼らの姿がどんな正義をもって描かれていくのか。そこはヨナファンとして期待しつつ見守っていきたいなと思います。