1981年結成、1986年にデビューし幅広い表現活動を続けてきたロックバンド『エレファントカシマシ』(通称エレカシ)。
この記事ではエレファントカシマシの楽曲『こうして寝転んでるとまるで死ぬのを待ってるみたい』について個人の考察を書いています。
エレファントカシマシ『こうして寝転んでるとまるで死ぬのを待ってるみたい』概要
『こうして寝転んでるとまるで死ぬのを待ってるみたい』は、エレファントカシマシの18枚目のアルバム『STARTING OVER』収録曲。作詞作曲は宮本浩次。
このアルバムには『翳りゆく部屋』(作詞作曲:荒井由実)のカバー音源も収録されている。カバー曲収録のアルバムはエレファントカシマシとして初だった。
エレカシ『こうして寝転んでるとまるで死ぬのを待ってるみたい』歌詞について
エレファントカシマシのラブソング
この楽曲は、いわば”究極の失恋ソング”に他ならないと個人的には思っている。しかしそもそもの前提として、エレカシ楽曲において”ラブソング”の存在自体がかなり珍しい。
もちろん楽曲それぞれが、聴く人によってあらゆる解釈が可能になるような多面性をそなえているなあと思うのだけど、それでも歌詞をみて明らかに「恋愛の歌」だと思わせる曲は実はあまりない。
エレカシ楽曲で「ラブソング」といえば、まず思い浮かぶのは個人的にはこの曲だ。『それを愛と呼ぶとしよう』。
『それを愛と呼ぶとしよう』に登場する男女(おそらく)は、確実に両想いだ。これから先も仲良くともに歩んでいこうという終始前向きな歌詞で、だからこそリリース当時は複雑な気持ちになった女性ファンもいたという(詳しくは上記の記事参照)。
一方、この『こうして寝転んでるとまるで死ぬのを待ってるみたい』の主人公はただひたすら孤独だ。
天気予報に電話して涙流す
エレファントカシマシ『こうして寝転んでるとまるで死ぬのを待ってるみたい』
もうボクはこの部屋ごと地の底に沈みそう
一人きりで部屋にいて、”地の底に沈みそう”な気分を抱えて、天気予報177番に電話してでも他人の声を聞きたいくらい淋しい。
『こうして寝転んでるとまるで死ぬのを待ってるみたい』の歌詞は、10代後半~20代前半くらいの比較的若い世代の人により強く響くのではないかという気がする。
歌詞全体に心もとない、寄る辺ない雰囲気があって、なおその”淋しい”という表現がきわめてストレートなのだ。こういう不安定な感覚は、何者にもなれないのではないかという漠然とした不安を感じがちな若者世代には特に共感されやすいだろう。
こうして寝転んでるとまるで死ぬのを待ってるみたい
エレファントカシマシ『こうして寝転んでるとまるで死ぬのを待ってるみたい』
神様どうかボクの上に強き光を投げてください
そして、この長い曲タイトル『こうして寝転んでるとまるで死ぬのを待ってるみたい』が、この楽曲の世界観すべてを端的にあらわしているように思う。寝転んで、頭がぼうっとぼやけていて、本当にどうしようもない状態なのだ。だから「困ったときの神頼み」じゃないが、つい『神様』に淋しさを訴えたりもしてしまう。
歌詞のなかで『神様』と呼びかけるエレカシ楽曲といえば『神様俺を』(2018年リリース)。
神様俺を どうか見捨てないで
エレファントカシマシ『神様俺を』
祈りを捧げるから 明日を歩むから
宮本浩次の思う「神さま」とははたしてどんな存在なんだろうか。少なくとも歌詞に登場する「神様」は、特定の宗教的な神の話ではなくて、もっと単純に”大いなる存在”という意味合いで使われているのではないかという気はする。
遠足を翌日に控えた子どもが、どうしても明日晴れてほしいと願うときに口にする「ああどうか神さま…」。この”神さま”って、結構大人になっても頭をよぎることがないだろうか?
まあわざわざ「神さま」なんて口にはしなくとも、自分の力ではどうにもならない困りごとが何とか解決しまうようにと願うとき、人は「こんなに頑張っているんだから、きっと誰かがどこかで見ていてくれるよね」と思いがち。
もしかしたら神様みたいな誰かが見ていてくれるかもしれないから。
いつか報われるかもしれないから。
エレファントカシマシの楽曲『こうして寝転んでるとまるで死ぬのを待ってるみたい』や『神様俺を』に登場する「神さま」は、多分そういう存在なのじゃないかなあ。
『こうして寝転んでるとまるで死ぬのを待ってるみたい』。失恋、金欠、仕事の失敗、病気…、理由は何であれ、とにかく落ち込んで一人きりの部屋で寝転んでるとマジでそんな気分になってきますよね。
しかし楽曲タイトルが歌詞の内容にそのまま直結しているこの感じ、なんとなくエレカシっぽくないなあと個人的には思うのだけど、でもそこもまた好きだったりする。
あとこういう感想は余計かもしれないが、女性目線でこの曲を聴くとやっぱりきゅんとしますね。”体も心も溶けて”しまうくらい想われていたならきっと本当に幸せだっただろうなと。