日本を代表する4人組ロックバンド「エレファントカシマシ」(通称エレカシ)。1981年結成、1986年にデビューし幅広く精力的に活動を続けている当バンドは今年2023年3月、無事35周年を迎えました。
本記事ではそんなエレカシの名曲『風に吹かれて』の歌詞について、いちファンとして考察を書いています。
エレカシ『風に吹かれて』発売は1997年
当楽曲がアルバム「明日に向かって走れ-月夜の歌-」からのシングルカット曲として発売されたのは1997年のこと。しかし実際に曲が書かれたのは1994年だったということで、曲の完成からリリースまでに3年のタイムラグがあります。
この理由については、作詞作曲をしている宮本浩次自身が「まだ早い」と判断したからと語っています。(過去インタビューより)ただ、なぜ「早い」と判断したのかについて、明確な説明はなされていません。
エレカシ『風に吹かれて』歌詞の意味は?

太陽と月の比較
まず印象的なのはやはり出だしの部分でしょう。
輝く太陽はオレのもので きらめく月はそう おまえのナミダ
「輝く太陽はオレのもので きらめく月はそう おまえのナミダ」日中に輝く太陽と、夜にしか顔を見せない、自発的に発光することのできない月。対比的に描かれることの多いこの二つが出だしのフレーズに使っているのはなぜでしょうか。
太陽と月は、陽と陰の関係にあり、スピリチュアル的な観点からも注目されています。太陽は顕在意識(起きているときの意識)を、月は潜在意識(無意識)をあらわします。このほか、太陽は想像力や開発力、男性を、月は内なる生活や内的感情、女性などを示す場合もあります。
こう考えるとあらゆる捉え方ができますが、この場合はやはり(歌詞の)主人公である男性が愛しく思う女性に向けた内情を綴っていると考えることができます。
「明日にはそれぞれの道を追いかけていくだろう」とあるように、この男女はしばらくのあいだ会えない状況に置かれるのでしょう。「見慣れたいつもの町」や「見慣れてるこの部屋」ともしばしお別れです。
別れを目前にして初めて「当たり前の毎日」のすばらしさを感じることができた。だからこそ「昨日までの優しさ」を胸に、新たな道を歩き出そう。この楽曲には、そんな別れの寂しさと希望が混在しており、どのような事情をもつ人でも自分ごととして素直に聴けるため、リリース当時から現在まで多くのファンの心を捉えています。
ボブ・ディランの名曲「風に吹かれて」と合わせて考える
「風に吹かれて」と聞いてまず連想するのは、アメリカのミュージシャン ボブ・ディランの名曲「Blowin’ In The Wind」(風に吹かれて)。
この楽曲がエレファントカシマシの「風に吹かれて」と直接的に関係しているという情報があるわけではありません。
ただ個人的に、エレカシのボーカル宮本さんの紡ぐ歌詞はボブ・ディランのそれとかなり近い部分があるように思うのです。歌詞のそこここに表現されている文学的要素であったり、あるいは前向きな内容でもどこか哀愁が漂っているような雰囲気であったり。
ボブ・ディラン「風に吹かれて」は世の無情を訴えた嘆きの歌です。一方、エレファントカシマシの「風に吹かれて」は友人(あるいは家族、恋人など)との前向きな別れの歌。
この2曲の共通項は、友人に対し、静かにくり返し語りかけているような歌詞です。
The answer, my friend is blowin in the wind
The answer is blowin in the wind
友よ、「答え」は風に吹かれている 風に吹かれている
■ボブ・ディラン「Blowin’ In The Wind」より
大勢多数の人(ファン・リスナー)ではなく、あくまで一人の友人に対し切々と訴えるような表現が強調されており、静かな世界観、空気感がある。エレファントカシマシの楽曲には、そうした優しさと力強さが宿っています。
だからこそ聴く人は「自分に直接」語りかけられているような気分にさえなり、歌詞の内容や言葉により一層共感するのかもしれません。