【暁のヨナ】第5話ネタバレ考察「私は何も知らない姫だが~」ヨナの台詞について考えてみた

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白泉社が発行する漫画雑誌【花とゆめ】にて連載中の少女漫画『暁のヨナ』。アニメ化や舞台化、さらにはヨナカフェなどさまざまな関連イベントも開催されており、メディアミックス作品としても注目を集めています。

今回は、『暁のヨナ』のストーリー序盤に登場するヒロイン・ヨナの台詞「私は何も知らない姫だが道理も分からない者の言葉に耳を傾けるほど落ちぶれてはいない!」について。

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私は何も知らない姫だが道理も分からない者の言葉に耳を傾けるほど落ちぶれてはいない

私は何も知らない姫だが道理も分からない者の言葉に耳を傾けるほど落ちぶれてはいない」。

上記は、『暁のヨナ』第5話にて登場するヨナ姫の言葉。つくづく良い台詞だなあと思うのです。ストーリー展開としても流れとしても、あのいかにもドラマティックな場面においてヒロインにこの台詞を言わせるセンスみたいなもの、やっぱりすごいよなあと。

漫画にしても小説にしても、人の心を描き出す以上、やはり読者を惹き付ける最大の要素は「言葉」に他ならないのかもしれません。漫画ならではのイラストとかコマ割り以上に。

この台詞から読者サイドに提示されたのは、ヒロイン・ヨナ姫のほんとうの意味での闘いは、自分は何も知らない・何もできない”姫”である、という自己認識から始まっているというキャラクター性の根本でしょう。そして、当時の彼女にとって唯一頼れる存在であったハクの命が脅かされた瞬間、彼女は本当に心から、そこから「抜け出したい」と願ったはずです。

そう考えると、ヨナ姫はそもそもスウォンの謀反以前に”奪われる側”の人間だったとも言えます。生まれながらに”お飾りの姫君”という役割を押し付けられ、与えられた狭い型の中で生きてきた彼女ですが、父の死により迫られ、急かされ、再びやむにやまれずその役割を手放さざるを得なくなったわけで。

生まれつき与えられた枠組みに帰属意識を見い出すことができないというのは言うまでもなく苦しいことですが、一方で、その枠の外をまるで知らないというのもまたある種の不幸と言えるでしょう。

そのことをヨナに、ひいては読者にしっかり認識させた上で、それでもまだ「落ちぶれてはいない」ということを明言させる。これ以上あざやかな表現・演出はないんじゃないでしょうか。

ハクは姫時代のヨナのどこに惚れた?

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そして、従者ハクは城時代のヨナのどこに惚れたのだろうか…という議論はヨナファンのあいだではわりと頻繁になされていることと思いますが、その答えも、実は当該シーンのヨナの台詞にすべて集約されているのではないのかなと。

生まれつき押し付けられた枠組みの狭苦しさへの反発を表に出さず、求められる通りにふるまい続けることは、やはり一種の気高さがなければ決してできないことです。番外編などで小出しにされてきた城時代のエピソード一つひとつをみても、ヨナは生まれつきそうしたふるまいができる性質をしっかりそなえていたんだろうなあと。

自由で奔放な一面がありながらも、決して”わがままな女”ではなかった。至れり尽くせりの環境下におかれてそれだけの自我を保てるのは、やはりヨナ姫には”お飾りの姫”なりの、確固とした矜持のようなものがあったのではないでしょうか。そして、敏感なハクはきっと、そのことを誰より正しく理解していたのではないかと。

なお、テジュンがそうしたヨナの”本質”を初めて目にしたのもあのシーンに他ならないはず。単なる”お飾りの姫”の顔ではない、非力ながら屈強な武人そのものの精神をもつ”姫君”の誕生シーン。あのシーンにて以前のヨナ姫はいったん本質的な”死”を迎え、そして再び生まれたんだろうと個人的には解釈しています。

この強さは緋龍の化身であるゆえか、はたまた母カシゆずりか、それとも…? 何にしても読み応えのあるワンシーン、ぜひくり返し読みこんでいきたいものです。

『暁のヨナ』感想考察一覧 | あねもね

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