日本を代表する4人組ロックバンド「エレファントカシマシ」(通称エレカシ)。1981年結成、1986年にデビューし幅広く精力的に活動を続けている当バンドは今年2023年3月、無事35周年を迎えました。
今回はそんなエレカシの名曲『奴隷天国』の歌詞について、いちファンとして考察を書いています。
エレファントカシマシ『奴隷天国』概要
『奴隷天国』はエレファントカシマシがエピックレーベル時代に発表した6枚目のアルバム『奴隷天国』の表題曲。作詞作曲は宮本浩次。
この曲は数あるエレカシ楽曲のなかでも、”ライブでの魅せ方が圧巻”であることで広く知られている。
<おめえだよ そこの そこの そこの おめえだよ おめえだよ>
歌詞の内容もさながら、初期の頃のパフォーマンスは特にすさまじかった。<おめえだよ おめえだよ!>歌唱というよりはもはや恫喝に近い。
初期のエレカシのライブでは客側は拍手や手拍子をすることすら許されなかったことはいまや有名な話だが、そういった状況の根源となっていた感情はおそらく”怒り”に他ならない。
当時の宮本浩次はいったい何に対して、あれほどの底なしの怒りを抱いていたのか。若い頃の葛藤や迷いの感情・心情はエレカシのさまざまな楽曲に見られるが、この『奴隷天国』はその中でもやはりいろいろな意味で群を抜いていると感じる。
『奴隷天国』はエレファントカシマシ最大の「応援歌」だと思う
生まれたことを悔やんでつらいつらいと 一生懸命同情こうて果てろ
強烈な歌詞だ。身を入れて聴けば聴くほど、生まれたときから培ってきた自分自身の人間性がことごとく否定され無に帰していくような気分になる。
生まれてきて、それ自体がありがたいことで、だから人に対しても自分に対しても真摯に生きていきなさいと私たちは幼少のころから教えられる。生きていて楽しいことも嬉しいことももちろんたくさんあるはずなのに、歳を経るにつれて、私たちはいつのまにかそうした喜びに素直に目を向けることをしなくなる。
自分より恵まれている(ように見える)境遇の人間をひたすら羨んだり、どれだけ望んでも手に入らないもののことばかりを考えて過ごしたり、そんなどうしようもない時間がむやみやたらと増えていく。
自覚がないのだ。今生きているこの瞬間は間違いなく自分の人生の一幕であり、その自覚をもって生きていないと日々は無為に過ぎ去り、何一つ残さずに消え去ってしまう。
先が見えず、自分の生きている価値が分からない。
周囲の人ばかりが輝いてみえる。自分のするべきことがわからない。
そんなときはぜひ、この『奴隷天国』を聴いてみるべきだ。
何笑ってんだよ 何うなずいてんだよ
おめえだよ
そこの そこの そこの
おめえだよ
耳に痛い言葉の羅列だ。頬をぴしゃっと叩かれたような気分になる。
だから良いのだ。痛いからこそ、ようやく自覚できる。
他の誰も代わってくれはしないのだと初めてはっきりわかる。
『奴隷天国』は『今宵の月のように』と共存するポップソングである
『奴隷天国』は、エレファントカシマシというバンドが全力で世の中に投げ出した最大級の応援歌であると私は思う。
たとえばエレカシの代表曲『今宵の月のように』や『悲しみの果て』しか知らないという人は、エレカシ初期の頃の楽曲を聴くと多少衝撃を受けることもあるかもしれない。
しかし聴いていくうちに、投げかけられる言葉に耳を傾けているうちに、しだいにはっきりと分かるようになるだろう。『奴隷天国』と『悲しみの果て』は全く違う主張の楽曲ではなくて、その根本は実は同じところにあるのだ。