エレファントカシマシの楽曲を聴いていて、ふと疑問に思ったことがある。それはエレカシ楽曲における一人称の使い分けだ。歌詞のなかで登場する一人称は基本的に『オレ』『俺』『俺たち』の3種類。さて、この3つの使い分けには何か意味があるのだろうか。
ということで今回は一人のエレカシファンとして、勝手な想像にもとづいた理論を書いています。
エレファントカシマシの楽曲における一人称
歌詞全体をみていくと膨大な数になるので、ひとまずは楽曲タイトルに「オレ」「俺」とつくものを分けてまとめてみた。
タイトルに「オレ」とつく曲
・あなたのやさしさをオレは何に例えよう
・オレを生きる
・オレの中の宇宙
・勉強オレ
タイトルに「俺」とつく曲
・俺の道
・神様俺を
・なぜだか、俺は祈ってゐた。
・はてさてこの俺は
・ベイベー明日は俺の夢
備考:その他
・俺たちの明日
・おれのともだち
・覚醒(オマエに言った)
『俺』、『オレ』、『おれ』、『オマエ』…
いや~この圧倒的な”男くささ”が魅力なんですよね。笑
エレファントカシマシ楽曲における『オレ』『俺』の使い分けの意味は?
今回この記事を書こうと思ったきっかけは、以前エレファントカシマシの23枚目のアルバム『Wake Up』リリース時のインタビューを読んだ際に、その内容がなんとなく気になっていたためだった。
エレカシのアルバム『Wake Up』リリース時インタビュー
―言葉で一つ聞きたいことがあるのですが、アルバムの中には“俺”と“オレ”の2つの俺・オレがあります。「神様俺を」では漢字で“俺”。「オレを生きる」ではカタカナで“オレ”。俺とオレの違いは?
宮本:いやぁ、考えてもみなかったですけど……「神様俺を」の“俺”は俺だけじゃないんじゃないかなぁ。男達っていうか、女の子でもいいんだけど、この“俺”は広い俺なんじゃないかなぁと思いますね。
https://rollingstonejapan.com/articles/detail/28146?n=2&e=28613
上記の通り、インタビューによると漢字の『俺』は”広い俺”である、と…この意味がなんとなくピンと来なくて、当時はちょっとだけもやもやしていた。広い俺とは、つまり自分を含めた男性全般をあらわす広義の言葉であるということだろうか。
実際にインタビュー内で『男達っていうか、女の子でもいいんだけど』と述べているので、この場合の『俺』は男特有の一人称というよりは、一人の人間が自分を示す際の総称に近いということなのかもしれない。
あらためて考えると、『神様俺を』という楽曲そのものにもちょっと不思議な雰囲気がある。そもそも歌詞のなかに『私』と『俺』が混在しているのだ。モノローグ的な部分では「私は」、そして”神様”に呼びかける際は「俺を見捨てないで」。
いつの間にか私は歳を重ねて/ 神様俺をどうか見捨てないで
エレファントカシマシ『神様俺を』
一方で、同じくアルバム『Wake Up』に収録されている楽曲『オレを生きる』について。
この楽曲は、「自分自身のことを歌っている」と宮本浩次自身がインタビューにて語っている。
また、『神様俺を』については制作過程においてプロデューサーやアレンジャーの力を借りている部分が大きいが、『オレを生きる』についてはあくまでエレカシメンバーの4人だけで作り上げることを意識していた、とも。
な、なるほど…つまりこのインタビューをもとに考えると、楽曲の一人称が『俺』である場合は、例えば『男』とか『人間』とか、そういう総称としての意味合いが強い。そして一人称が『オレ』である場合はより個人的な、もしくは私的なイメージが強い、ということになるのだろうか。
もちろん楽曲ごとの世界観によって、『俺』『オレ』の意味合いや立ち位置は全く異なることも多々ある。が、やはり一人称が『誰を』『何を』指しているのかというのは、曲についてより理解するためにも重要なところだと思う。というより、歌詞を読み込むのが好きないちファンとしては普通に気になる。
例えばエレファントカシマシの代表曲『俺たちの明日』。曲タイトルにある『俺たち』のワードから、この曲は同世代の男性の心を一身に背負って歌っているんだろうなと長いあいだ思っていた。
しかし『俺たちの明日』の歌詞によく注目してみると、歌詞内では一人称が「オレ」になっている。「オレ」が「オマエ」にアツく語りかけるといった形の楽曲なのだ。
『俺たちの明日』という曲タイトルから、まるで全ての男性の総意を歌っているかのような壮大な印象があるが、しかしもしかするとこの曲もまた、実のところは宮本浩次自身が個人の心を歌ったものなのかもしれない。
だとすると歌詞の「オマエ」に当たる人物ははたして誰なのだろう。一番長く傍にいるエレカシメンバーのことなのか、あるいは長く会っていない学生時代の友人の誰かなのか、もしくはそうした友人一同に向けた歌なのか。
エレファントカシマシの歌詞を眺めていると、こんなふうに妄想はどこまでも広がる。まるで短編小説でも読んでいるような気分にさせられるのもまた、バンドのファンとしての楽しみ方の一つと言えるかもしれない。