【歌詞・意味】羊文学のクリスマスソング『1999』の読み方は?どんな曲?

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音楽

【羊文学】は塩塚モエカ(Vo, Gt)、河西ゆりか(Ba)、フクダヒロア(Dr)の3人からなるロックバンド。バンド名の通り、文学的で”エモい”歌詞が魅力的で、その独特の空気感に惹かれる人は多い。今回は羊文学のクリスマスソング『1999』の読み方や歌詞の意味について。

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羊文学の『1999』の読み方は?

夜の都会

羊文学の『1999』の読み方は、「ナインティーン・ナインティ」。1999年と聞いてまず思い浮かぶのは、かつて日本をにぎわせた「ノストラダムスの大予言」でしょう。

「1999年7の月、空から降ってくる恐怖の大王によって、世界は滅亡する」。

羊文学の『1999』は、1900年代が終わるわずか数日前のクリスマスをテーマとして制作された楽曲。このテーマをもとにした歌詞の世界観には、クリスマスと聞いて多くの人が思い浮かべるであろう”ロマンチックさ”とはかけ離れた独特の雰囲気があります。

羊文学の『1999』はどんな曲? 歌詞の意味は?

世紀末のクリスマスソング

羊文学『1999』の歌詞をみてみましょう。

誰もが愛したこの街は 知らない神様が変えてしまう
それは世紀末のクリスマスイブ

僕の愛していたあのひとを
知らない神様が変えてしまった どうしてよ
それは世紀末のクリスマスイブ

羊文学『1999』

クリスマスをうたった多くの楽曲は、とにかく”愛情”をテーマにしているものが多いと言われています。それが恋愛にしろ家族愛にしろ、あくまで愛情が受け入れられ、成立した状態の楽しさや優しさ、あるいは受け入れられない場合の哀しさや苦しさにについて、つまり誰もが”共感しやすい”感情が歌詞の世界の中に広がっているわけです。

しかしこの『1999』という楽曲において描かれているのは愛情ではなく、不安や困惑、絶望感といった、一見クリスマスとは相いれないような暗い感情や概念ばかり。

描かれているのは絶望なのか、それとも希望なのか

「誰もが愛したこの街」や「僕が愛していたあのひと」を、「知らない神様」が変えてしまう。

愛情の対象が否応なく変わってしまう、変えられてしまう理不尽さに対し、歌の主人公はもはやなすすべもなく<ぼくはどうしたらいい?>と独りごちているばかりです。

歌詞に<僕のパパやママが子供の頃>というフレーズがあるため、一見、主人公は幼い子どもなのかと思われがちです。が、ラストのフレーズ<夜が明ける頃 迎えにゆくよ>でこの曲の印象は一変します。

曲の出だしからずっと<ぼくはどうしたらいい?>と途方に暮れてばかりいた主人公が、ラストで初めて「迎えにいく」という行動力をみせるのです。

では、迎えにいく対象はいったい誰なのか。友人知人なのか、あるいは恋人なのか。歌詞全体をみても、結局世界観の全貌はあまり見えてきません。

描かれているのは絶望なのか、それとも希望なのか。聴く人によって解釈がはっきり分かれるところに「文学性」を大切にする羊文学らしさが出ていて、そこに惹かれる人も多いのでしょう。

なお、この楽曲の魅力は歌詞だけでなく、演奏によって何倍にも増しているように思います。ひずみまくったギターとベースの唯一無二の音、そしてひたすら職人的に仕事をするドラムの存在感。スリーピースがカチッとハマる爽快感がたまらない。

『1999』は、バンド初期の名曲としてファン人気の高い一曲。羊文学といえば最近では人気アニメ「呪術廻戦」のEDテーマ『渋谷事変』が注目されがちですが、バンド初期の楽曲もぜひあわせて聴いてみることをおすすめします。

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