白泉社が発行する漫画雑誌【花とゆめ】にて連載中の少女漫画【暁のヨナ】。
アニメ化や舞台化、さらにはヨナカフェなどさまざまな関連イベントも開催されており、メディアミックス作品としても注目を集めています。
今回は漫画【暁のヨナ】の252話(43巻収録)「たとえ元には戻れなくとも」のネタバレ感想と考察について。
『暁のヨナ』252話(43巻)「たとえ元には戻れなくとも」のネタバレ感想・考察
この記事では本編あらすじの詳細な文章化はしておりません。
ネタバレ要素はありますのでご注意ください。
スウォン政権の不安定さが目に見える形で描写され始めてきた
252話のストーリー展開を通して明確に見えてきたのはやはり、”スウォン政権の不安定さ”なんだろうなと思います。
「随分と礼を欠くのね」。ソガ一派に対しこう言い放ったヨナですが、正確に言うと彼らは非礼というよりは、スウォンのことは単に”ユホンの息子”、ヨナのことは単に”イルの娘”としか認識していないのだろう、と。
現在のヨナ、そして彼女の側近ハクの力が現在の高華国においてどれほど”重要”であるかが全く見えていないからこそ、今回のような勝手なふるまいができてしまうのでしょう。
この点、ケイシュクはやはり参謀として最低限見るべきものはきちんと見ていたんだな、とも思いました。少なくとも彼は、スウォンのことを”ユホンの息子”としてではなくいち個人として見ているし、ヨナのことも”憎きイルの娘”としてではなく”政治的に利用価値がある人間”としてきちんと認識していたはず。
まあ彼も”ユホン派”の一人として内心思うことはあるのでしょうが、一応表面上は、私怨に支配されてはいないように感じます。
そして過去記事含めたびたび例に挙げてしまいますが、この”誰派”だから云々という見方、描き方はやはりり、田村由美先生の名作『BASARA』を彷彿とさせます。『BASARA』は「赤の王」「白の王」「青の王」と上に立つ人間が多すぎて、もはや派閥に支配されたような世界観なんですよね。
しかし『暁のヨナ』という作品の本質は本来、そこではなかったはずなんだけどなあ…とも思うのです。スウォン派、ヨナ派、ひいてはユホン派、イル派、というのはあくまで物語のいち要素であり、本当に重要な部分は他のところにあるはず。
そこをすっ飛ばして今回のような描き方をするのはある種の”ミスリード”というのか、うーん、まあだからこそ次の展開を目にしたときの読者サイドの”びっくり度”が増すんだろうなあ、とちょっと思ったり。とにかく類のないほど”魅せ方”にこだわった作品だなあと思います。
四龍伝説もそろそろ終わりが近い?
もう一人、252話のピックアップはやはりゼノですね。今回の展開をみて確信しましたが、彼の本質はやはり”四龍の一人”というよりは”神官”なんじゃないかなと。
これは読者サイドどころか仲間のヨナたちも、それどころかゼノ自身もほぼ忘れていた(あるいは意識していない)設定なのかもしれませんが、それでも今回の展開含め、彼の「四龍」に対するよい意味で”冷めた”スタンスをみるに、わりと的を得ているはずです。
神官、つまり神に仕えるものは、個人の思想だの利益だの思惑だのに支配されてはいけません。つまりゼノは、たとえば白龍キジャのように「四龍として立派に使命を全う」することだけを念頭に置いているようなキャラクターとは本来、真逆の位置にいるキャラと言えるはず。
”四龍として”、紅龍の化身であるヨナにある意味盲目的に仕えるのではなく、あくまで四龍の能力を部外者のように冷静すぎる目でみているゼノ。
ストーリーの序盤にてヨナたちと合流する前に「ヨナが四龍の力を使うに値する人物かどうか試していた」と言っていたくらいですから、彼は黄龍である以前に、元来そういった”ドライ”な立ち位置がすごく自然にできる人間なんだろうなと思います。まあだからこそ非凡すぎる能力をもつ黄龍に選ばれた、という見方もできますが…。
そしてそんなゼノの今回の立ちふるまいをみるに、やはり四龍伝説そのものがもそろそろ終わりが近いのだろうな、と思いますね。
そうなったとき、なんだかんだでこれまで彼らに頼って生きてきたヨナ、そしてハクがキャラクターとしてより一皮むけるのではないかと、ヨナファンとしては楽しみにしております。次回253話は来月ですね。というかヨナ自体の完結はいったいいつになるのでしょう。長期掲載の漫画ファンとしてはそこにも注目したいなと思いつつ。