『暁のヨナ』最新256話(44巻収録) ネタバレ感想と考察| ゼノの願いはいったいいつ叶うのか

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エンタメ

白泉社が発行する漫画雑誌【花とゆめ】にて連載中の少女漫画『暁のヨナ』。
アニメ化や舞台化、さらにはヨナカフェなどさまざまな関連イベントも開催されており、メディアミックス作品としても注目を集めています。

今回は漫画【暁のヨナ】の256話(44巻収録)『生きたいと願う者 死にたいと祈る者』のネタバレ感想と考察について。

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『暁のヨナ』256話(44巻)「生きたいと願う者 死にたいと祈る者」のネタバレ感想・考察

最新256話、いよいよ面白くなってきましたね。いや本当に。血の盃やら龍神やら何やらでファンタジー要素を突き詰めて煮詰めたような内容ではありましたが、それでもなお神話的な神聖さみたいなものがそこここに感じられ、読みごたえはばっちりでした。

あと、不死キャラや不幸キャラの抱える悲劇的なファンタジーにもとことん共感して入れ込んでしまうのは『花とゆめ』読者あるあるなのかもしれません。その手の作品や登場キャラがあらゆる漫画誌の中でも類をみないくらい多いのはなぜなんでしょうね。

今回は本作きっての不幸キャラ・ゼノについて語っていきたいと思います。

※この記事では本編あらすじの詳細な文章化はしておりません。ネタバレ要素はありますのでご注意ください。

ゼノの願いは龍神への反逆行為に他ならない件

<俺の命も今終わった>とのゼノの言葉ですが、そもそもゼノの精神はずっと昔に、おそらくは最愛のカヤさんの死とともに終わりを遂げていたのだろうと思うんですね。

そしてジェハにシンア、キジャと三龍の命を強制的に終わらせたゼノは、たしかに緋龍を守るという使命を負った”四龍”としては罪を犯したことになるのでしょう。

さらにいえば、ゼノ自身の立場からすれば、そもそも”自我”をもつことそのものが罪深いということになります。

人の身ではなく龍という人外である以上、人らしい感情や信念はある程度捨てなくてはならない、というより捨てなくては生きてはいけない。意思をもてばその時点で、龍神の期待に添い使命を果たすことなどできなくなってしまいますからね。

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何ともシリアスかつ残酷なキャラクター設定だからこそ、作中で四龍の在り方について直接的に触れるシーンがこれまで極端なまでに少なかったのかなあと思います。

四龍の在り方とそれぞれの信念

作中では”四龍”とひとまとめにされがちですが、実は四龍それぞれの信念は全く異なると言っていいように思います。

龍の脚を隠し、最後まで人らしく生きることを望んだジェハ。龍としての過酷な使命を受け入れ、自身の存在意義と同義に捉えていたキジャ。龍であろうが人であろうが関係なく、自身の感情に正直に生きていたシンア。

四龍それぞれが”いい奴”で、互いを尊重する心をもっていたからこそ成り立っていたようなもので、実際は本質的に分かり合っていたわけではないのではないでしょうか。何というのか、それぞれ違う方向を見ながらかろうじて肩を組みあっているような危うささえ感じます。

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もちろん四龍それぞれの特性が異なる以上、仕方のないことではあるのですが、だからこそ腹減り一行の誰もがゼノの抱える危うさに気づかず、ふと思い至ることさえなかったのかなあと思うんですね。

中華系ファンタジーとうたわれる本作ですが、たとえば龍や麒麟など中国文化における聖獣と違い、ストーリーの鍵を握る四龍があくまで”人間として”描かれているのがやはり見どころの一つなのでしょう。ゼノの立場をただ悲劇的だと同情する描き方だと、とたんにお涙頂戴感が出てつまらなくなってしまう気がします。

それにしてもここまで特殊な能力を与えておきながら、”人間として”正常な葛藤を抱え込ませるこの魅せ方、作者草凪先生のクリエイターとしてのサディスティックさみたいなものを感じてゾクゾクしますね。

そして、もう一人の悲劇キャラといえばスウォン。事態がこの先どう転ぼうと、現在の高華国にハクとヨナの存在が必須なのはもはや火を見るよりも明らかですが、それをいまだ言語化しようとしないところがいかにも彼らしいなと思います。

『暁のヨナ』感想考察一覧 | いとのろぐ

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